山を愛して半世紀

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7月12日(金)御嶽山2日目は紺碧の青空が広がる好天に恵まれた。
今日は摩利支天山〜賽の河原〜剣ケ峰を往復する天空のトレッキング、継子岳(ままこだけ)のコマクサ撮影を行い濁河温泉に下山する予定だ。

御嶽山は独立峰であるが剣ケ峰をはじめ継母岳、摩利支天山、継子岳などからなる複合火山でその活動は今も続いている。山の誕生から今日まで幾度かの噴火を繰り返し現在の形に落ち着いているがある時期は富士山をしのぐ日本一の高峰だったというから驚きである。
そのことは広大な裾野を広げる山体を見れば想像できる。

一方、御嶽山は「日本百名山」(深田久弥 著)で御嶽として紹介されている。
山名の由来を調べてみると遠く三重県からも望め「王御嶽」(おんみたけとも呼ばれていた)古くは坐す神を王嶽蔵王権現とされ、修験者がこの山に対する尊称として「王の御嶽」(おうのみたけ)と称して「王嶽」(おうたけ)となり,その後「御嶽」に変ったとされる。
;フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

剣ケ峰の最高峰を始め継母岳(ままははだけ)摩利支天山(まりしてんやま)継子岳(ままこだけ)など特異の山名も山岳信仰を色濃く伝え今に残る「御嶽詣で」は独特の規律を守っているようである。
また麓の山麓から登山道、山頂部のいたるところに祠や石碑が数多く見られ、御嶽信仰独特の歴史を感じさせる山である。

御嶽信仰と呼応して「強力」さんが活躍しているのもこの山の特徴の一つと言える。
二の池新館小屋で偶然会った倉本さんはこの山の「強力」と「案内人」を業としているという。
この日は小屋の食料を担ぎ上げてきたところであるが、なんとその重量は80㌔近くあるとのことだ。
「昭和の時代は信者さんも多く賑わっていたが現在は高齢化で山まで上がってくる人が減った」さらに登山者については「交通の便がよくなり日帰りする人ばかりだ」と嘆き気味に話してくれた。
私の登山も半世紀近くになるが登山スタイルは車利用でスピード登山と大きく変わり山小屋が混雑するのは一時の期間に限定されている。
こんな状況変化のなかでも延々と続く「御嶽詣で」と「強力」の存在は日本の山岳にふさわしい姿であり後世に引き継いでいかなければならない日本人の義務なのかも知れない。
そして「御嶽山」は「御嶽さん」であってそこに登ることは登山ではなく「登拝」というべきなのかも知れない。


            摩利支天山から五の池と継子岳を望む。
摩利支天山からの五の池、継子岳


            満面の水を湛える二の池と剣ケ峰
2の池と剣ケ峰


            氷河の先端を思わせる二の池雪渓
氷河の先端を感じさせる雪渓


             剣ケ峰中腹からの摩利支天山
2の池から摩利支天方向


               剣ケ峰山頂にて
剣ケ峰山頂


             二の池新館小屋で出会った倉本さんは
             御嶽最後の「強力」と言われている
強力の倉本さん

             
             倉本さんに教えてもらったコマクサの
             群生地(継子岳ではない)
賽の河原で見つけたコマクサ


              下山後に岐阜県側からみた継子岳
チャオ御岳高原からの継子岳


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2013.07.27 / Top↑
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