山を愛して半世紀

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
6月5日(火) 梅雨入りを前に少し足を延ばし山陰の大山(だいせん)に出かけた。先週の平治岳(九重連山)に続いての連続山行で交通機関は軽ワンボックス車での一人旅である。
また、かねてから訪れたいと考えていた「孤高の人」主人公の加藤文太郎の生地(兵庫県新温泉町浜坂)にも行くことにした。
3日の夜に九州を出発し仮眠を取りながら鳥取まで800㌔近く一般道を走るというハードな行程だが、これには若い頃の大山スキーの思い出が蘇り走ってみたくなった。
4日には石見銀山や山陰海岸を見物しながら大山寺登山口に着いたのは夕方の6時であった。
梅雨の走りとあり山は厚い雲に覆われていたが、この時刻から晴れ間が覗き日本海に沈む夕日が明日の好天を占っているかのようであった。

5日は午前4時半に起床、天気は薄曇りだが大山北壁が圧倒的な姿で立ちはだかっている。いいぞ!と独り言をつぶやきながら雨具や非常食など最低限の装備で5時過ぎに出発した。
夏山登山道はミズナラやシデなどの樹林帯が広がる僧坊跡をほぼ一直線の石畳からはじまり高度を上げるに従いブナ林そして低木帯と変わり1600mを越えると特別天然記念物のダイセンキャラボクの群生地を通り弥山の頂には8時近くに着いた。

大山とは主峰の剣が峰(1729m)、弥山(1709.4m)など8峰を総称しての名称であり最も高い剣が峰への縦走は禁止されている。(稜線の崩壊が続き危険な状態)
このため一般的には弥山登頂を大山登山と言っているが頂上に立ち剣が峰を視ると行ってみたくなる想いは誰しも同じであろう。
ところで弥山(みせん)という山名称は四国の石鎚山や安芸の宮島など全国各地にあり興味を持ち後で調べてみると「場所・順番など表す語の上に用いて、いちばん、最も、の意を表す」とあった。
大山は山岳信仰として平安時代に開かれ繁栄の時代を繰り返している。明治の廃仏毀釈により境内の規模は縮小し寂しさがあるが今でも残る寺院や僧坊跡を散策すれば当時の栄華が忍ばれる。

             
              大山寺駐車場から見る日本海に沈む夕日
日本海に沈む夕日


              西日本一のブナ林のなかを登山道は続く
ブナ林の中の登山道


              6合目付近から灌木帯に変わり展望も開ける
6合目

    写真は南壁、中央に聳えるのが最高峰剣が峰(1729m)大山は火山噴出物で形成されて
    いるため今も浸食崩壊が続いており数十年前から縦走が禁止されている
南壁


                弥山山頂から望む美保湾
山頂から日本海


       兵庫県美方郡新温泉町(旧浜坂町)にある加藤文太郎記念図書館
   浜坂町出身の登山家、加藤文太郎を顕彰して建てられた図書館で二階には彼の遺品や資料が
   展示されている。
加藤文太郎記念図書館


   加藤文太郎1905年(M38)〜1936年(S11)は単独行による数々の登坂記録を残した登山
   家。新田次郎著「孤高の人」は彼の生涯を題材とした長編小説で常に単独での山行を展開し
   ているが1936年1月、始めてパートナーと登った槍ヶ岳北鎌尾根で遭難し生涯を閉じている
レリーフ


   山スキー、ピッケル、アイゼンなどの遺品が展示されているコーナー。この他自身の日記に
   は綿密な登山計画と記録が記され著書「単独行」の発行に至っている。
加藤文太郎が使用した山道具
スポンサーサイト
2012.06.10 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://yamanotabibito555.blog52.fc2.com/tb.php/68-40812acc
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。