山を愛して半世紀

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2月19日(木)昨年の秋MDS(骨髄異形成症候群)の診断を受け落ち込むなか唯一の治療法である化学療法を受ける決断をした。
1サイクル7回のクスリ(ビターザ)を皮下注射し、その後20日間程度休息を取り6サイクルくり返す。
この間は入院が必要となる。
そこで効果の有無が分かることになるが治療効果は50㌫らしい。
完治できる治療法ではないが私に選択できる1つの治療である。
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2015.02.18 / Top↑
12月31日(水)写真の登山靴は10月に買ったスポルティバの軽量トレッキングシューズだ。
登山を始めて50数年を超え67歳となった今は体力の衰えを感じるなか少しでも軽くしたいとの思いで買い替えたものだが3ヶ月経った今も足を通していない。
昨年のアンナプルナトレッキングから疲れがひどくなり今年5月の大崩山行では標準コースタイムの1.5倍もかかるようになっていた。
年齢のせいとして片付けていたが米収穫後に医者の診察を受けると極度の貧血症であることがわかりMDSという難病である事が分かった。
完全に治せる治療法がなく主治医からは「経過観察と輸血に頼る事になるだろう」と告げられ高所登山はもちろん日常の運動も制限されることとなった。
当然私のショックは大きく今後の人生が光の見えない闇の中を歩いていくのかと塞ぎ込むようになってしまった。
さらに悪い事に他の病いを併発し入院するはめとなり悪い事は重なるものだと自分の人生を悲しんだ。
「なんとか国内の登山だけも続けたい」そんな想いを主治医に話し今リハビリを含んだ治療に取り組んでいる。

私の登山は15歳で始まり社会人になるや九州の主たる山を踏破し日本アルプスに挑戦、登った山は日本百名山で数えると60座を超えている。
ある時期に百名山挑戦を考えたが九州熊本からのアプローチを考えると費用等から「多くの山より好みの山」に考え方が固まり穂高や劔岳など何度も通い私の好きな山である。
登山スタイルは単独行が多く20代の若い頃は標準コースタイムをいかに短縮できるかというスピード登山をめざし、年を重ねるごとに周囲の景色や写真撮影を楽しむようになり近年は写真山行が主流となっている。
そして50代後半になり憧れのヒマラヤトレッキングを実現するなか63歳で6000m峰の登頂、70歳の記念としてヒマラヤ7000m級の頂きをめざす計画を立てそのためのトレーニングも続けていたのである・・・
これまで順風満帆と思える人生のなかで2014年は不幸な出来事であったが登山という生涯の趣味を持ち続ける事で2015年も希望の年として生きる決心を固めている。

スポルティバ登山靴

2014.12.31 / Top↑
9月20日(火) 日本南限のブナ林の南限地域として知られる白髪岳ブナ林の危機については4月の山行日記で報告したが、昔の写真を整理(デジタル化)するなかで1994年(平成6年)に登った時の貴重な写真を見つけ出したので対比して紹介したい。
白髪岳のブナ林は2006年(平成18年)の台風で壊滅的な被害を受けその屍は哀れなほどの姿を見せ登山者やここを訪れる人の心を痛めるに違いない。
地球温暖化とそれに伴う異常気象の背景には人間の営みが関わっていることを私は指摘したいがなかなか理解されない。
しかし自然を愛するものにとって「元の白髪岳に戻ってもらいたい」想いと「自然環境は悲鳴をあげている」ことをこの写真を通じて知って頂きたいと考えている。


             8合目付近にある現在(2011年)の三池神社
現在の三池神社

               17年前(1994年)の三池神社
御池神社



              9合目付近の登山道(2011年)
現在の登山道


                1994年の9合目付近
9合目付近



                白髪岳山頂(2011年)
現在の山頂

             1994年の山頂で今は亡き愛犬の太郎と
白髪岳山頂


2011.09.20 / Top↑
4月19日(火) 東日本大震災から一ヶ月が過ぎたが被害の全容は未だ明らかになっていないようである。
さらに福島第一原発事故はレベル7の大事故、1~3号機はついに核燃料が溶融している事実が明らかになり「炉心溶融に発展する危険性はないのか」不安は増大するばかりだ。
この原発事故について東電、原子力安全・保安院はこれまでことあるごとに楽観的な報告に終始しマスコミもこぞって同じような論調で報道してきたが事態は逆の悪い方向へと進んでいる。
事故から一ヶ月後の3月中旬、日経連の米倉会長は「千年に一度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」(3/16)と国と東電を擁護した。
また、日本原燃の川井社長も事故にふれ「日本の英知を結集すれば、より安全な原子炉が造れる。我が国のエネルギー確保には原子力も必要だ」(3/31)と述べ原子力発電を推進している。

原発周辺30㌔範囲が避難の対象となり生き物の生命が脅かされ、農産物を始めとしたあらゆるものが放射能汚染の危機にさらされているこの段階で経済界のトップがこのような発言をしても誰も質さない。
なんとも寂しい・・・
「なぜ原子力が必要なんですか」と尋ねると決まって「日本は資源に乏しい。地球温暖化防止に役立つ」との返事が返ってくる。
一人として「エネルギー消費を押さえ少し前に帰ろう」とは言わないが、私はこのような考え方にたち以前と変わらない電力消費量で暮らすことを心がけている。
省エネブームのなかで改善された家電製品もあるが自動販売機、コンビニ、パチンコ店など明る過ぎる照明施設に規制がないのも規制緩和の結果からだろう。
私は言いたい。
人が動物が地球上のあらゆる生き物が健康で安心して生きていける環境を造っていくには「人間の生活様式を変えていく」このためエネルギー消費を減らしていく努力を今からしていかなければならないと。

そして今わが町は市長、市議会議員選挙の真っ最中、候補者たちは自らのことばかりで環境やエネルギー問題など提起する者は誰もいない




2011.04.19 / Top↑
3月上旬 このところの春の陽気から一変真冬に戻り厳しい寒さが続いている。
米作り準備で水田の整理を考え産山村に帰郷したが寒の戻りで田んぼは霜柱の山、加えて強風のため作業にならず何もしない2日間を過ごした。
こんな暇を持て余しているとき我が田舎の変貌ぶりを見たくなりいくつかの集落を懐かしく、そして記憶を溯って廻ってみた。
主要道路から遠く離れた小集落は人影もなくひっそりと静寂に包まれわずかに当時の面影を残している。
そんな中で全く変わらない光景があることに気がついた。
それは熊本、大分両県にまたがるトンネルから眺める九重連山だ。半世紀前この場所は両県の子供たちの遊び場所でもあった。
当時、冬の積雪時の北側に面する道路はいつまでも雪が残り絶好のソリ遊びの場所として数十名のガキ大将達でにぎわっていたのだ。
今は道路も拡張され、そんなことは出来ないが当時を知る私たち世代には懐かしい場所である。

冬への逆戻りで思いがけない回想の旅ができた一日となった。


トンネル越えに見た九重連山の主峰久住山
陽春の九重連山

2011.03.11 / Top↑
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